「至誠」

私が立派だなと思った人物たちが大切にされていた言葉。

実は私も意味がわかっていないのだが、大変よい言葉だと直感でわかった。

単に言葉で理解するものではなく、行動・体験を通じて実感するもののようだ。

孟子の言葉「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」吉田松陰も引用した。

私の尊敬する人から察するに「日常の些細なことも含めた全ての行為に真心をこめる」とも言い換えられる気がする。

つまり、嘘をつくとかつかないとかそういうレベルではなく、その上の概念である。

己に至誠がわかっているか、実践できているか。最近考えるようになった。


「滅私奉公」

ワタクシをメッしオオヤケにホウじる。

私は年をとるまで丁稚が一生主人にこき使われるのをイメージしていたのだが、

全く違うものであった。戦後、崩壊していったようだが、本来日本人文化に根付く概念で、

ワタクシよりオオヤケを大切にする。自分が損をするとか考えない。

そういう信頼関係で社会を作っていくメソッドである。

「助け合いの社会」「社会の役に立つ人間になれ」という言葉は近いのではないかと思う。


「人生観・死生観」

私 のアイドル伊藤祐靖さんが語っていた文言。

特に死生観と言うのがわかりやすく、ここから先は死んでも守ると言うもの(命より優先順位がたかい)


「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、 戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である」

帝国陸軍の軍人、永野修身が真珠湾の開戦直後に軍令部総長として発した言葉。

伊藤祐 靖さんがyoutubeでおっしゃっていてビビッと来た。

伊藤さんの父親さんの伝では以下のとおり。(私はこの文言が声に出して読み上げると一番しっくり来る)

「戦うも亡国。戦わざるも亡国。同じ亡国なら、赤子四百万神明(神妙?)として天佑を待たん。」

インターネットでは

「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。

戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、

護国に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう」


私の友人は長野修身が嫌いである。なぜなら山本五十六の部下だったからだそうだ。
山本五十六は真珠湾の回線のあと日本国の兵力を激減させた張本人であり、
またアメリカに留学していた理由から真に日本の味方だったかどうか怪しいというのが彼の意見である。
確かに戦前戦中でもスパイはいた有名なのがゾルゲ尾崎である。
彼の話では日本は勝つことは無くても負けることも無かったらしい。 本当かどうかはわからないが・・